26歳男性 先天性側弯症 矯正手術をしなかった話
はじめに
このブログ記事は先天性側弯症を抱え生まれた26歳男性が矯正手術をしない選択をした話になります。
サクサク話を進めるために自己紹介、経緯の説明は省いていきます
この経緯を詳細に書くかは悩んだのですが手術をしないことを選んだ話なので省きます。この適当に書いた画像で大まかな経緯が伝わるかはわかりませんが、重要な部分ではないので何かいろいろあったんだなぐらいの理解があればそれで大丈夫です。
脊椎のct画像
正面からのレントゲン写真
2022年7月
今年の3月からc病院、b病院を行き来して手術を受けるため過去の手術のカルテ情報収集や、mr検査、ct検査、循環器と呼吸器の検査等をこなしてきました。
そしてこの7月、ついに手術ができるかどうかの判断する段階になりました。
c病院での診察にて
この日は過去のカルテ、検査結果等の必要な情報を集め終わり矯正手術をする話を聞きに行きました。ここまでの診察にてc病院の担当医師の方は矯正手術はできる、早く解放されたいでしょ。と言ってくださっていて僕も期待していました。
ところが話を聞いていくと矯正手術の際に循環器、呼吸器で異常が出る可能性が高いので循環器科、呼吸器内科がある総合病院ではないと矯正手術は行えないので他の病院を紹介すると聞かされました。(c病院は脊椎・頸椎に特化した整形外科の専門病院です)
このとき紹介された病院というのが、僕が2015年ぐらいまで診てもらっていたa病院でした。
僕はなんとなく察しました。
矯正手術しない選択
診察の予約がすぐ通ったのでc病院から紹介状をもらった数日後にa病院に行きました。
診ていただいた医師の方は初めて会う方で、事前に僕が調べた情報では年に100~200件ほどの外科手術を行う頸椎脊椎の部位を得意とする整形外科医とのことです。
単刀直入に医師から言われたことを書きます。(録音した会話をまとめています)
矯正手術のリスクは高い。現状、歩くことができて働くこともできている。それが矯正手術で起きるかもしれない脊髄損傷によって奪われてしまう可能性が高い。
産まれてきた段階から変形し続けた今の脊柱の形に合うようにこの体は既に完成されていて、もし矯正手術が成功したとしても他の部位に異常が出る可能性が高い。
このふたつが矯正手術を踏み切れない理由。湾曲した脊柱によって肺と心臓が圧迫されていて潰れてはいるが現状問題はない。
医師の答えは矯正手術をしないほうがいい。でした
この体で生きることの不満点を聞かれました。僕としての不満というか悩みは、ほとんどが一般的な人間の体をもつ人間で構成されている社会の中を生きていくうえで、着座や歩くといった動作を苦手とする奇形の体(外見も突起部分が強くてコンプレックスになっています)では自信が持てないし他の部分のせいにしてしまうといったところで、矯正手術を受けられたら。という気持ちが強かったです。
脊髄損傷のリスクについてはもちろん知っていて、それでも。という想いが強かったのですが、僕の中では4ぬ覚悟はあっても歩けない状態になって生きていく覚悟はない。というのが正直なところです。
どの程度、矯正したいか。という話になりました
僕は一般的な人間のからだとほぼ同じ形、完全にまっすぐにしたいと答えました。
完全にまっすぐにするとなると脊髄損傷が起こる可能性がとても高く、医師の方は確率とかで言いたくないけど、50%ぐらいで起こる。と言いました。このリスクを踏まえた上で矯正手術をするなんて考えられない。とのことでした。
実際のところ、幼いころから見ていただいていた医師に断られた時点で理解しなければいけないことだったのかもしれません。c病院の医師も検査を進めるうえで、僕が手術をしても(かなりの症例数をこなしているそうです)脊髄損傷を起こしてしまう可能性が高い。と紹介状に書いていたそうです。
僕の側弯症の矯正手術が難しい理由としては、一般的な側弯症患者のようなアーチ状の湾曲の仕方ではなく、画像からわかるように二つ折りのような、骨同士が当たるぐらいの複雑な曲がり方をしているからだそうです。
脊髄損傷が起こるかどうかは、医師の技術どうこうではなく祈るようなものだと聞きました。
まとめると医師の答えは歩けていて、働けていて、動けないこともなく、4ぬ寸前の身体状態でも精神状態でもなく、矯正手術をすることは勧められないでした。矯正手術をした話とくに成功した話だけに目がいってしまいがちだけれど、脊髄損傷が起きて下半身不随になった時のことを考えて、矯正手術をしない方向で人生を生きていくことを考えてほしい。でした
僕はここに来るずっと前からリスクについては数え切れないほど考えていて、思考を重ねるほど、やらないほうがいい答えになるなんてことを既に知っていました。ちゃんと選ばなければならないときが来たんだな。と思いました。
聞きたいこと
生まれてから今日までの診察の中で聞きたいことはあるかと尋ねられました。
僕は前々から答えを知りたいと思っていた質問があったので聞きました。
全ての人間は幸になる要素、不幸になる要素を併せ持って生まれてくるという考えを僕は持っていて、僕は不幸になる要素の中に先天性側彎症を抱えて生まれてきたという解釈をしています。奇形になった原因は当事者や親にはなく、そもそも責任問題にはならない考え方をしています。そして、国が定める身体障害者の基準、目安を見る限り自分がとても恵まれた体でこの世界に生まれたことを理解はできているつもりです。
そこで、一般的な人たちと比べると障害や奇形という不幸になる(可能性が高い)要素を多く与えられた人間の人生が上手くいかなかった場合、それはどこに原因があるのでしょうか。
僕の中にある答えは、自分の頑張り半分。与えられたビハインド半分。でした。なぜこの答えになったかというと、与えられたビハインドが上手くいかなかった原因に関与してないなんて絶対にないと僕は考えているからです。例えば、生まれた瞬間から寝たきりの人間の人生が上手く行かなかった場合(上手くいったかどうかは当事者が決めることです)に体の問題が、人生が上手くいかなかった原因に1ミリも関わらないなんて僕は絶対に考えられません。
ただ、当事者の考え方、スキル次第でどうにでもなる場合もあることは理解しています。有名な人だと、四肢のないジャーナリスト、寝たきりのお笑い芸人、この二人でしょうか。とんでもなく大きいビハインドを与えられたにも関わらず生き方のかたちを手にしている人たちに僕は最大限の尊敬をしていると同時に、最大級の嫉妬をしています。僕のように生き方のかたちを見つけられず、潰れてしまう人間もいるのです。僕はこの人たちを例に出し、頑張ろうと言ってくる一般的な人間の体を与えられた人間が、この世でいちばん嫌いです。ただの生存バイアスだと思っています。
自分が嘆いて甘えを言っているだけなことは承知しています。
この質問に対する医師の答えは
人生の結果にビハインドは関係ない。関係するかどうかは自分次第。君の言うことはわかる。四肢がない。体が半分しかない。乙武さんのような人がいるじゃないですか。ああいう人たちだってビハインドを乗り越えて、自分のやれる範囲の中でベストを目指している。中には五体満足の人たちよりハッピーに生きている人たちもいる。なので、それに比べたらあなたのビハインドはあってないようなもの。恵まれた部分が大きいので、そこを活用して、やりたいこと、社会や人のためになることを見つけられるのであれば、あなたも人生を成功させることは可能。ただ、そこで自分の境遇に悩み続けてしまうと、なにも始まらない。ただ止まっているだけになる。あなたのからだはなにかをする力がある。やりたいことを見つけることが人生。それを見つけられたらいいのかな。と思います。今のままでも、あなたは頑張れる力がありますよ。君はよく考えることができている。だからこそ矯正手術を失敗したときのことをよく考えてほしい。すべてのことは命あってのことです。
その教科書のような答えが僕の中に生まれていないわけではなかったのですが、おそらくこの日本における整形外科医のエキスパートに言われると、いろいろと来るものがあります。
アラサーのおっさんが自分に言い訳して半泣きで質問の文章を発言したことに悲しくなってきました。
最後に
超強力な誘導があったものの、僕は矯正手術をしない。という選択をしました。正直なところ、この体だから。と言い訳などしたくないのです。だからこそ矯正手術を受けることを望んでいたのですが。
この体で4ぬまで生きることを決めたわけですが、現状とくにやりたいこと叶えたいことはありません。
あえて言葉にするのであれば
言い訳せず頑張れる自分になりたい。ただこれだけを願うばかりです。
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